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●特集記事
◆「時間の話」 菅野 潤
異なった国の間を移動していて調整がむずかしいのは「時間」の問題である。といっても時差のことではない。物事を行う時間帯、さらに時間のとらえ方の違いである。
例えば、演奏会の開演時間だが、ヨーロッパ諸国を見てもまちまちである。英国はおおむね7時半、ドイツは8時、フランスは8時半、イタリアは9時。今までの記録はスペインで、夏の音楽祭だが、夜10時半というのがあった。
その上、これがまた時間通りに始まるとは限らない。南欧諸国では、土地柄にもよるが、開演時刻ごろから三々五々人が集まって来て、30−40分遅れというのも珍しくない。日本で時折、誠に申し訳ありませんが今日は5分押しでお願いします、などと言われると、こちらが恐縮してしまう。
英国の心理学者ピーター・コレット氏が近著「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」の中で、同学のロバート・レヴァイン氏の「クロックタイム」と「イベントタイム」の分類を紹介している。
前者は、時間にしばられた社会の原理。まず時間が分割され、されに物事を割り振ってゆく仕方で、それぞれに開始と終了の時間が決まっている。後者は、イベントそのものを重視する、イベントは人が集まったところで始まり、必要な内容をこなしたと大方が感じたら終わる。
イタリア、スペインの音楽会などは、まさに後者である。
さらに厄介なことに、一つのパラドックスが存在する、それは「イベントタイム」の地域の方が、物事を行う時間帯に明かな黙契があることだ。
私の教えているバルセロナの音楽院で、たまたま授業が早く済んだからといって、暇な同僚を1時ごろ昼食に連れ出すことはまずできない。彼らは何かの用事を作って2時まで待とうとする。
日本は「クロックタイム」の典型だろうが、英独など北方諸国と、ラテン系諸国がこの点で二組に分かれる態のヨーロッパが、今後統合の流れの中で、どうなってゆくのか興味深い。
(1999.1.7 河北新報より)
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